幼なじみよりの便り
今朝、僕の地元大分にる幼なじみからLINEがきた。「コロナの影響で世の中のリズムが悪いけど体調は大丈夫?」って。久しぶり連絡で嬉しくて速攻「ありがとう!」って返信した。その幼なじみは自動車の新車・中古車販売と民間車検場を経営しているんだけど、「(コロナ禍の中では)車は全く売れない」らしく、「売れないどころか問い合わせすら来なくなった」らしい。自動車販売がダメなら車検で売上をキープしたいんだけど、「(車検時に)交換部品を渋る人が多くなって来てて、部品売り上げが下がってる」そうだ。その後も何回か送受信のやりとりしたんだけど、新型コロナウイルス感染拡大によるワークライフスタイルの激変は大都会の東京も片田舎の実家大分市もなんら変わらず、みんな大変な時代を生きているんだなあとしみじみ感じた。
そういえば、フランス文学者で武道家の内田樹さんが文春オンラインのコラムで「コロナは世界各国に配布された「センター試験」だ」って書いていた。「コロナウィルス禍にどう適切に対応すべきかという「問題」が世界各国に同時に配布された。まだ誰も正解を知らない。条件は同じです。すべての国が同じ条件で適切な対応を求められている」って。まさにその通りだ。東京で活動する僕と大分で車屋を営む友だち、やっていることは違えど、いま全世界の人が同じ新型コロナとの闘いという状況下にいる。こんな時代が僕たちの前にやってくるなんてホントに想像もできなかった。
昭和初期に日本統治時代の台湾にいた母方の祖父は、現地で撮影した写真を集めたアルバム「戦友」を作り残しているんだけど、その中には軍人の集合写真や台湾の街中警備の写真、慰安会の様子や台湾人歌い手と一緒に写る写真などが並んでいるんだけど、友だち(戦友)と軍服を来てライフルを持つ姿の白黒写真の横には「生まれた時代が悪かった」と書き残している。僕たちの時代は祖父の時代とは真逆でこれまで裕福で自由で幸せな時代を生きて来られた。祖父の言う「生まれた時代が悪かった」なんて思うことはこれまで一瞬たりともなかった。コロナ禍は僕たちの心と生活にどれだけの爪痕を残すのだろう。
大分の幼なじみとLINEをしながら、ふと実家の友だちたちとリモート飲み会をしたいなと思った。リモ飲みだと帰省しなくてもいいから旅費が浮くし(笑)、頻繁に同窓会を開くことができる。リモ飲みをした仲間から話を聞くと意外にも結構楽しいらしい。男同志でのリモ飲みはすっぴんの嫁やパートナーは出演禁止だとか、嫁・パートナーの手料理も撮してはならないとか、自然といろいろルールが出来ていくらしい。男女混合の旧友たちとのリモ飲みをした仲間は、夕方から数人でスタート、仕事の終わった仲間がどんどん増えていって大盛り上がり。午後10時を過ぎた頃からリモートで寝落ちする友だちが出始め、リモ飲みを脱落するときは「終電があるんで帰りま〜す」って言って通信を切るみたい(笑)。みんなこんな状況の中でも思考を凝らして楽しんでいるじゃない!?
ならば今週末にでも、大分の幼なじみをリモ飲みに誘ってみるかな!