Hello Shinsaibasi Osaka! 〜その1

2019年9月20日、関西エリア初の直営店となるKATSUYUKIKODAMA PARADIDDLE 大丸心斎橋店がオープンした。

大丸心斎橋店のグランドオープン前日のプレオープンから、たくさんのユーザー・カスタマーさまと接することができて、幸せな時間を過ごすことができた。みなさま本当にありがとうございます。また、両親や僕の友人、兄の大学時代の友人の方もお祝いに来てくれて、本当にもう感無量だった。

KATSUYUKIKODAMAのフルラインナップが見られる大丸心斎橋店をこれからもよろしくお願いいたします!

さて、大阪は僕にとって様々な気持ちが交錯する特別な場所。そこで今回、久々に"KK的「私の地図」"シリーズを発信!僕にとっての「大阪」を語らせていただきます。

Spot 01. 僕にとっての大阪〜小中学・高校時代:僕が初めて大阪を訪れたのは1981年・小学5年の時の夏休み。大阪には父親方の叔母さんがいて、その年に開催されていた神戸ポートピアや大阪・奈良を一緒に観光した。大分しか知らない僕にとって大阪は超がつくほどの大都会。ビルが高くてめちゃくちゃ人が多い。当時伯母ちゃんが住んでいた最寄りの天王寺駅では、人々の歩くスピードの速さが大分のほぼ倍で、その姿が滑稽に見えて驚きのあまり笑いが止まらなかった。大分にはいない路上生活者も初めて見た。大阪市内を張り巡る地下鉄や地方へ繋がる電車など見るもの全てが新しくて、田舎の大分とは全く違う発展した都市にそれはそれは刺激を受けた。もともと好きな野球チームは大阪の阪神タイガースで、僕が中学3年だった1985年、阪神は吉田監督のもと、バース・掛布・岡田・真弓らの活躍で21年ぶりのリーグ優勝を果たした。日本シリーズでは西武を下して初の日本一に。阪神の優勝は僕の大阪愛をより一層深いものにして、僕はどんどん大阪に惚れ込んでいった。そんな大阪を僕は高校時代に一人で何度も訪れた。伯母ちゃんがいたから大阪には行きやすかったし、両親にとっても親族の伯母ちゃんには息子を預けやすかったんだろう。家族とではなく一人で大阪に旅行して街を散策するのは本当に楽しかった。牛丼を初めて食べたのも大阪だ。梅田かどこかの大きなターミナル駅に立ち喰いの牛丼屋があってそこで生まれて初めて牛丼なる物を食した。すき焼きのような甘い汁で軽く煮込まれた牛肉に七味をかけて食べるのを知ったのもその店だ。大分にはまだ吉野家も松屋も進出していなかったので、安くて早くて美味い牛丼に僕は速攻虜になった。しかも立ち喰いでささっと食べて店を出て行く大阪人がやけにカッコよく見えた。あの店まだあるのかなぁ?心斎橋のアメ村では古着の501やネルシャツを探しまくった。当然大分には古着屋なんてなかったので、これまた新鮮。お金もそんなになかったので何軒も店を回っていろんな古着を試着して厳選した。天王寺のアポロビルにあった輸入レコード屋にも毎日通ってヘヴィメタのレコードを漁った。当時話題だった伝説のスラッシュバンド"VENOM"の輸入版を買ったのもアポロビルのレコード屋だ。インディレーベルのレコードもたくさん揃ってて、何時間いてもまったく飽きない。こんな店が大分にあったらなぁって本当に羨ましかった。ある日、心斎橋筋の商店街で怪しいビデオ屋を発見!レコード屋同様、毎日のようにその店に通いドキドキしながら初めてエロビデオを買った(笑)。天王寺駅の路面電車乗り場の脇の小道を入ったところにロマンポルノや洋物ポルノの映画館が何軒かあって、入りたくて入りたくて堪らなかったんだけど、結局は度胸がなくて入れず仕舞い。あの怪し細い通り、今はもう区画整理されてなくなってんのかなぁ?それにしても、食・ファッション・音楽・エロ、僕にとって青春時代の全てのサブカルは大阪が供給源だった。

その2につづく〜

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