KK的「私の地図」〜中編
雑誌読み放題サービスからDLしたある週刊誌で出会った「私の地図〜あの場所に帰りたい〜」。日経新聞の「私の履歴書」みたいなんだけど、これはいい企画だな〜!ってことで今回と次回は、KATSUYUKIKODAMA的「私の地図」をこの場で語らせていただきます!
Spot 01. 川崎市多摩区登戸新町:上京して最初に住んだのが小田急線の登戸駅。多摩川を渡れば東京なんだけど、川一つ挟んだだけで家賃が安いっていう理由でこの場所を選んだ。2コ上の兄と一緒に2DKの間取りの東向きアパートに住んだ。登戸は兄の通う大学と僕の通う大学のちょうど中間点でもあった。エアコンが付いてない部屋だったんで夏の室内は酷暑。熱帯夜はさすがに眠れず毎回汗だくで朝を迎えた。それでも4年間エアコンは設置しなかったんで大学の友達は夏には絶対に泊まりに来なかった。当時の登戸駅前はバッタバタで建物も古く、2軒あるパチンコ屋もまったく玉が出ず(笑)、狭い道が入り組んでいて古い昭和の横丁の雰囲気を色濃く残してた。今は駅も駅周辺もものすごい綺麗に整備されたんでイメージもずいぶん変わったんだけど、あの頃は住んでいる街として全然自慢できなかった。それでも憧れの東京生活、登戸を起点に学校のある町田や、バイトや遊びで渋谷、表参道・青山、新宿へと毎日繰り出した。友達が彼女と破局した時は家から歩いて5分の多摩川の畔りで一晩中飲み明かした。駅前の純喫茶(名前なんだっけかな?)のアイスコーヒーは氷までコーヒーで作ってて美味しかったし、南武線の踏切の手前にあったタコ焼き屋も出汁が効いてて抜群の美味しさだった。中華の鶏ガラの味を知ったのはアパートの裏の「ちまき食堂」の肉野菜炒めで、駅前の東秀の回鍋肉もチェーン店ながらホント美味しかった。小さなレコード屋でメタルのCDを買いまくった。宮沢りえの写真集「サンタフェ」を予約したのも駅前の本屋。自転車でちょっと足を伸ばせばディスカウントストアの「ジェーソン」や「ダイクマ」があって日用品が何でも揃った。全部がいい思い出だ。今思えば登戸って地味ながらひと通り全てがまかなえる良い街だったな。
Spot 02. 渋谷区神泉:最初に勤めた会社のオフィスは道玄坂上の国道246号線と旧山手通りが交差する場所にあった。その内側にある神泉の商店街も今はおしゃれなカフェや旨そうな居酒屋が軒を並べているけど、ここもまた当時はしょぼい通りだった。道玄坂のラブホテル街の先にある場所なんで雰囲気はなんだかジメっとしてて(←しっとりという方が適切?) 渋谷の中心と比べると人通りも少なかったし、神泉駅も小さくて一両だけホームに入りきらないという中途半端な作りをしてた。神泉の会社には2年弱勤めたんだけど、その会社はノルマが強烈で今で言う「ザ・ブラック企業」だった。1ヶ月ごとに営業ノルマを達成するまでは自宅に戻れないという驚愕の制度があって毎月ホテル生活を強いられた。若かったから同期の連中と毎晩酒を飲みに繰り出してそれはそれで楽しかったんだけど、やっぱり自宅に早く帰りたかったんで営業として駆けずり回った。おかげで度胸もついて相当鍛えられた。2年目からはそのスパルタ制度にも慣れてきて収入も悪くなかったんでこのままずっとこの会社にいようかな〜って一瞬錯覚に陥ったけど、一晩で正気を取り戻した僕は大学時代に慣れ親しんだファッションの道へと帰っていく。
Spot 03. 渋谷区神宮前:やっぱり神宮前は僕の人生には欠かすことのできない場所。バッグの仕事を始めてから23年間ずっとこの場所が僕の仕事場だ。神宮前4丁目と3丁目エリアは南は表参道、北は外苑西通りに挟まれた高台。原宿から吹き上げてくる風に包まれる心地の良い場所だ。僕は大学時代に初めて表参道や神宮前を訪れたときに、ここは僕にとってものすごい重要な場所になるんじゃないかってなんとなく感じた。初めてのバイト先はやっぱり神宮前だったし、実家の友達が東京に遊びに来た時はいつも神宮前界隈で遊んだ。若かり頃の中山美穂と偶然会ったのも表参道のロイホだ(笑)。独立してからも神宮前に事務所を構え、ついに去年暮れにフラッグシップ・ストアをオープンさせたのも神宮前。社会に出て酸いも甘いも知ったのは全てこの場所だった。近年は表参道にアップルストアも出来て高級ブランド街の街並みに花を添えた。以前その場所にあったマクドナルドが新メニューの「クォーターパウンダー」発売時にアルバイトを動員して意図的に行列を作り出した「サクラバーガー問題」は記憶に新しい。カウンターカルチャーの中心で居続けるカフェの「ロータス」は20年来の僕の学食だし、ガレットの専門店「ル・ブルターニュ」の客足は衰えを知らない。銭湯を改装してトンカツ屋にした「まい泉」はお客さんを連れて行くといつも喜ばれる。これまで僕が愛し続けてきた神宮前、これからもずっと一緒だ。
後編へつづく