帰省回顧〜その1(小鹿田焼との出会い)

2024年に入り正月ボケも醒めやらない1月中旬、実家の大分へ帰省した。去年の6月以来だ。

去年の6月は、コロナもあって実に6年ぶりの帰省だった。この6年の間、母親が心不全で倒れて緊急入院して大手術しても、コロナのため病院に入れないので帰省してお見舞いにもいけず。タイミングを計って帰ろうとしても、何せ大分は田舎気質なんで、東京や他県からの帰省者は肩身が狭いらしく、両親からもそろそろ帰ってくれば?みたいなことはなかなか言われなかった。

コロナも収束した去年の初夏に、ようやく帰省することになった。そしてそれから約半年後たったこの1月にも再び帰省。年に2回帰省するのは、社会人になってからの30年間でおそらく初めてかも。

前回の帰省では、兄夫婦のアテンドで別府の鉄輪温泉の「冨士屋一也百ホール&ギャラリー〜はなやもも」や、大分市の赤レンガ館のカフェ「タウトナコーヒー」で優雅なコーヒーブレイクを愉しみ、大分では知らない人はいないという噂の冷麺専門店「六盛」で牛ダシの太麺冷麺を食し、旧友と飲みすぎた翌日の二日酔いのランチは「イスルランカ」のスパイシーカレーで胃を洗った。実家の仏壇に帰省の挨拶をし、実家のそばにある豊後一宮「西寒多神社」で開運を祈願した。もちろん、大分駅そばの「こつこつ庵」の琉球丼で、豊後水道で漁れる絶品の地魚を食べて食い道楽帰省をシメるという目標は忘れなかった。

その帰省で、これまでになく最も新鮮だったのは、小鹿田焼のお店廻り。数年前からブームになっている小鹿田焼は、大分県日田市の小鹿田皿山地区で焼かれる陶器。僕が大人になって小鹿田焼と出会ったのは地方のとある小料理屋。出される料理の器が、小さい頃から見覚えのある「飛びカンナ」で付けた削り文様の器で、マスターにどこの焼き物や聞いたところからだった。

マスターから小鹿田焼という名を知らされ、そこから検索をはじめたら、なんと地元大分県の重要無形文化財だった。マスター曰く小鹿田焼は厚めのしっかりとした作りなので、割れなくて飲食店向きなんだそう。小鹿田焼の削り文様を見ていると、自然と幼少期に母親から出される料理や、実家での生活、実家の隣にあったばあちゃん家での食事のシーンが頭の中でゆっくりと流れていく。なんなら母親の料理や実家の玄関や座敷の香りまでほんのりと漂ってくる気がする。小鹿田焼は僕にとってどんズバのノスタルジアなことに気づいたとき、僕の中で小鹿田焼の重要度はぐっと強まった。

去年6月の帰省では、別府鉄輪温泉の「冨士屋一也百」の一角に構える雑貨店や、大分市府内町の民芸の店「ぶん古」で小鹿田焼きの器をゆっくりと物色した。実家から近い「ぶん古」には3泊中2日連続で通い、飛びカンナのお皿をチョイスした。その器は帰りの飛行機ではもちろん手荷物では預けず、機内に持ち込んでも棚には入れず、大事に大事に膝の上において空を飛んだ。

これまでの帰省同様、地元グルメや神社仏閣参拝、温泉を楽しむ中、小鹿田焼のお店廻りという新しい嗜みが増えて本当に新鮮で大満足の旅だった。

そして今年の帰省!今年は兄から大分の冬のふぐは最高なので食べにいこうって誘われていて、なんとなくそれがメインイベントの予定だったんだけど、今年も小鹿田焼が旅の嗜みのメインになろうとは、大分行きの飛行機の中では想像だにしていなかった。

つづきは次回!

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